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私が起業したその理由

私は、SNSはTwitterをメインに呟くことが多いのですが、ここ1年ほどの間に、在宅ワーカー 特に 宅録ナレーター・声優 の方と交流することが多くなりました。

それは、自分自身が「声の仕事に戻りたい」と思った結果ではあるのですが、そこで眺めさせてもらったり、交流させていただいている方がよく呟かれているのが「子育て」のこと。

在宅でお仕事をされている方に、意外と、子育てと両立させている方って多いのだなぁ・・・と感じました

そして、ふと

在宅ワークの世界でも、保育士の知識活かせるんじゃない?!

と思ったので、何回かに分けて、在宅ワークで保育士の知識を活かしていく展望を(自分の妄想含め)書いていこうと思います。

今回は私がなぜ保育士から声の仕事へ「戻りたい」というのかお話ししますね。

私の子育て事情と、宅録声優を目指したきっかけ

私は、20代の時に、アマチュアではありますが劇団に所属して舞台に立っていました。市民ミュージカルに出演したり、映画のエキストラに挑戦したり。そこから、ご縁があってケーブルテレビのアナウンサーや、ブライダル・イベントのMCなど声を使ったお仕事をさせていただいていました。

結婚後、ケーブルテレビは退社し、少しの間フリーランスのMCで自分の力でやっていくための修行の日々・・・子どもを産んで、我が子が2歳近くまでは少ない案件ながらも現場に立っていました。

そこで人生の「まさか」に遭遇します。

離婚です。

詳しい説明は省きますが(またいつの日にか笑)とにかく、幼い子どもを抱えながら案件も少ない状態ではフリーランスではやっていけない。実家に戻って「会社員」として、健康保険・定期的なお給料をもらえる道を「選択」しました。

そこでついた仕事が「保育士」(大学は保育士養成校だったのです)

シフトに入ってフルタイムの正社員として働きました。早くて朝6時半には出勤し、夜8時9時に帰り、持ち帰りの仕事をする日々です。

当然我が子のことに思う存分関わっていけるわけもなく、実家の両親がいたからこそ続いたことだと思っています。よくまぁ大きくなったものだと思います(子育ての詳しい話は、また別で^^)

中学に上がった頃、我が子が真剣に将来を見据えて進路や職業について調べていた時「ママはどうして保育士してるの?」と聞かれました。

「生活のため・・・」と素直に答えた馬鹿な私。

でも我が子には「やりたいことをやって。応援するから」と言う私。

待て。待て私。矛盾してるじゃないか?

○こんな親の背中をみて、我が子は「やりたいこと」に目標を据えられるのか?

○本当に好きでやってたのなら・・・離婚したあの時、どうしてすぐに楽に安定させられる方に行った?踏ん張ってたら違う結果になってたぞ?

○金銭面では確かに安定したかもしれない。でも我が子との大事な時間をどれだけ無駄にした?

○触れ合う内容が濃ければ、いい?いや、保育士として人には言ってるけど、自分の中では矛盾だらけだ。

走り続けた13年間、糸が切れたように「今こそ我が子のそばにいたい」「我が子に夢を追う姿を見せたい」と言う気持ちが溢れてきました。何かの為に、誰かの為に、ではなく「自分の為に」そうしたい!と思ったのです。

決めたけど・・・

私が育ったのは 父=照明技術者だけど公務員 母=和裁などの縫い物をしながら在宅ワーカー 姉=ピアノ講師 妹=空間デザインを勉強した後にネイリスト・・・と、クリエイティブな家系です。私自身も小学生の時に演技の楽しさに目覚めてからは、何かしら「演技」をすることに触れ続けてきました。「何かを作り出す」血統なのでしょうね。

「戻ろう」と決めてから「自分のこと」を二の次にしていた自分の生活が変わっていきました。ライフプランニングを見直し、子どもの大学までの予算を確保し(見据えて貯蓄や投資はしていました)体を鍛え始め・・・今まで「やりたい」ことを我慢していたことを知ってくれている両親は「やっと進み始めたね。大器晩成型が(笑)」と応援してくれました。

ところが・・・

やってきました、コロナウイルス感染症の波です・・・。MCの先輩に聞いても「ブライダルもイベントも現場の件数が少なくなりすぎて、事務所に入れてもあなたまで仕事を回す余裕はないと思う。」「喋る力があるのだから、自分で営業かけに行った方がいい。」いきなり壁に当たりました。

難聴の治療・副業禁止の壁・・・

現場に出ることへの可能性が薄くなってしまった頃、私は趣味でやっていた「声劇」の分野の人から「宅録」で仕事がとれるかも・・・と言うことを知ります。しかし、宅録の技術は、本人の喋りの技術もさることながら、ノイズなどを防ぐことができる環境、マイクセッティングなどの知識、整音操作、自分で営業・・・など勉強しなくてはいけないことがたくさん・・・。しかも、どれだけ収入があるのかわからない世界。未知の世界です。

はじめ私は、保育士との兼業を考えていました。苦しくてしんどいけれど、子どもたちの成長を間近で感じられ、保護者の方と子育ての悩みや悦びを共有できることにやりがいも感じはじめていました。

言葉が、幼児期に与える影響の大きさ、自分が培ってきた「演技」「喋り」は確実に子どもたちの育ちにつながっているという誇りも持っていました。

13年勤めて勉強させてもらって、3歳以上や3歳未満のクラス担任のリーダーを務めるまでになっていました。生活のために続けてきたこととはいえ、まだ保育について学ぶことを辞めてしまうのはもったいないと思っていたのです。
そこで職務規定を確認してみました。

まさかの「副業禁止」の文字。

更に、以前から聴力が人より低かったのを自覚していたところ「声の仕事に戻るなら、ちゃんと治療しなきゃ」と受診して初めて直面した「実は人の半分しか耳が聞こえていなかった」事実。(難聴についてのお話はまた別の回で^^)
しかも両耳。思っていた以上に耳の状態が悪かったのです。すぐに左耳の手術を受けました。声の仕事を考えるより、まず自分の身体を治さなくてはいけません。

無事退院し、左耳の聴力が少しだけ回復した頃、お知り合いの方から「仕事を頼みたい」と奇跡のような声かけを頂いたのです。しかも公的な機関からのオファーでした。しっかり報酬もあるものです。
ただ、職場が副業禁止であることがネックだったので、思い切って職場に相談しましたが・・・現金の受け取りに関してはアウト。
(結局現金を頂かないという方法で案件はお受けしました)

税金の問題であるとか、保育士という立場上「副業」を全て認めてしまっては、他の保育士たちへの歯止めが効かないこと・・・公的な機関からのオファーであっても、報酬が発生する以上、特例は認められない・・・園側からしたら最もな理由はとてもよくわかります。

でもそれでは、私は声を「仕事」にすることができない。

退職と、我が子との決意

結局私は「保育園を退職する」という道を選びました。

我が子ともずいぶん話し合いました。退職を決めて、本当に仕事を辞めるまでの1年間・・・中学3年生という多感な年頃、しかも受験の年に私は2回も手術を受けました。病気と闘っていく姿を見せられて、不安な思いも寂しい思いも今までよりも更にさせたと思います。私立の受験の日が2回目の手術だったのですから、本当に踏ん張ってくれたと思います。

「ママ、これから無茶するから。安定は求めないけどいい?」
と聞くたびに
「ママの人生だから、思うようにやったらいい」
と言ってくれるのです。親の顔がみてみたいものです(親バカです。すみません)

「ただママは、あなたが今まで本当に我慢してきてくれたと思っている。感謝しているからこそ、あなたがママに言ってくれたように、あなたの人生だから、遠慮なく思うようにやって。準備は整ってるから」と伝えると
「公立進学校へ行って、そこから国公立の大学を目指したい」
「何になりたいかは正直まだよくわからない。だからこそ、市外の進学校にいきたい」と。

親子の目標が決まりました

「親は夢を追う」
「子どもは夢を探す」

期限は大学受験終了まで

この4月から、私は家にいてこの13年間できなかった「我が子を朝学校へ送り、夕方出迎える」ということをしながら、短期集中で宅録やネットでの営業、個人事業主としてのノウハウのレッスンを受けています。

ありがたいことに、自分から営業をかけた先や今までの関係から、少しではありますがお仕事の依頼も来始めました。
また「タネまき」とでも言うのでしょうか?これまでに培ってきた保育の関係や演劇をしていた頃の仲間、地元の方などに認知していただいて「声かけるから」「誰々を紹介してあげるから、ついておいで」「ちょこっとアルバイトしにくる?」などと気遣っていただいています。(遠慮なくタネを撒かせていただいています)感謝しかありません。

生活を安定させられるほどの仕事量を確保できるのか?もちろん不安はあります。
自分のスキルの強みを活かして「声」に関して思いつくことをどんどんやっていこう・・・と具体的に動ける日々。

そして我が子は進学後、より価値観の近い友達の中にいることで「夢」への具体的な進み方を少しずつ感じ取り始めているようです。

我が子の「夢」が「仕事」にならなくてもいい。そこへ向かおうとするパワーを創造していくことを学んでくれたら、きっと我が子の人生も「長い目で見て」良いものになっていくはずです^^

我が子との約束です。
3年後、自分の足で立てるようになるのが2人の目標です^^

と、言うわけで、ここから私「宅録だけに頼らない、自分のスキルの強みを活かした事業展開の野望」を持ち始めるわけなのですが・・・もう日付けも変わりそうだし、4000字超えたしで、ここから先はまた別の日のお話ということで。

長々と、最後まで読んでくださりありがとうございました。

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