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私とお芝居との出会い

久しぶりにブログを更新します💦

ぼちぼち更新していきますが、

今回は

私蒼井かよがこれを語らずに宅録声優は名乗れません!

というお話を書かせていただきますね。

ズバリ最初に言っておきます

私は、本格的に演技の勉強をした経験はありません

ただ、私と「お芝居」は幼い頃から切っても切り離せないものだったからこそ、

40代になった今「やっぱり好きだから」と正面切って言えるものだと断言できます

「演技」と「芝居」の言葉の違いもよくわかってないほど専門知識はない人間の戯言です


  • 演劇の楽しさを知った幼少期
  • 演じるって楽しい!の出会い
  • 木下順二「夕鶴」
  • 本気の涙を流せるまで帰ってこなくてよろしい
  • 緞帳が下がる間際私の目に映ったものは
  • 最前列に座ったおばあちゃんたち全員の号泣する姿
  • 急に専門的な話をしますが「ゴールデンエイジ」とは

演劇の楽しさを知った幼少期

世間一般に「演じる」ということに初めて触れるのは、

幼稚園とか保育園とかの「お遊戯会」のような場所ではないでしょうか?

両親や周囲の人が「女優になってほしい」と思って英才教育でもしない限り

普通はそんなところではないでしょうか?

私も、初めて演じて褒めてもらったのは幼稚園で演じたお遊戯会でした

私の同級生は当時としても少ない13人

この13人が、幼稚園に入る前から、高校まで一緒だった・・・という人もいるほど

田舎の小さな町(村といってもいい)で育ちました

小学校では国語科の授業の研究を熱心に行っていて

授業の様子を市内の他の小学校の先生方も見学に来られていた・・・ということをよく覚えています

同級生13人は「この学年の子らは芸達者じゃなー」とよく言われていたものです

演じるって「楽しい!」の出会い

私が、舞台に立って役を演じるということに心から感動したのは

小学5年生の時でした

当時の恩師が、演劇がとてもお好きな先生で

国語の音読も朗読とは・・・ちょっと違う「心をこめた読み方」「文章の読み解き」「話の主人公への共感力」

などを大事に指導される方でした

当時の私は、今ではちょっと考えられないくらいの陰キャで(今も十分私は陰キャだと思っているのですが(笑)

クラスの中では、おとなしくて、でもいじられるとブチギレするキャラクターでした(どんなキャラだったんだ)

運動も苦手で

勉強も取り立ててできるわけではない

ぽっちゃりしてて

「卑屈キャラ」っていうのがいいかな?という感じ

今流行りの「繊細さん」みたいな感じだったかもしれませんね

13人しかいないクラスの中で、いじめられる対象になりがちな私を

「演じる」ということは変えてくれました


木下順二「夕鶴」

小学5年生の学芸会での演目です

当時私が通っていた小学校は6学年全部でも130人未満という小さな小さな小学校

学年ごとに「劇」も「音楽」も「スタッフ」も全員総出です

私にとって、この「夕鶴」は、舞台に立って、

人を感動させられるって

「こういうことなんだ!」

と思わせてくれた

まさに運命の作品です

この「夕鶴」というお話、簡単に言えば「鶴の恩返し」です

絵本や紙芝居でよく見るのは、鶴を助けるのはおじいさん・・・というパターンですね

夕鶴では、そのおじいさんが若い男性です

その若い男性・・・なんとなんと私が演じたのです

今でこそ、中性ボイスだー、女性の低音イケボだーって言ってくださる方がおられますが

すでに私、この頃からその素質があったのかなかったのか・・・

それはともあれ、私はその若い男性「与ひょう」を演じました

ガラスの仮面か?!という演技指導…小学生なのに!

当時、私の母校では、国語科の指導に並々ならぬ力を入れていた…ということもあり

役が決まってからの台本の読み解きは、なんならその後踏んだ舞台の

どれよりも内容が濃く、深かったかもしれない…と思うほど

立ち稽古が始まってからは

「心の動きが舞台上での体の動き」

「幕の中に入っても、役の心のままでいなさい」

「声の圧・高低・スピードは感情によって同じセリフでも変化するはず」

などの指導があり「小学生にする指導なのか?!」と、いまだに思うほどです

私は、演目全体を通して主人公をやったわけではなく、前半・後半のダブルキャストでした

私は後半、鶴が布を織っているところを目撃し、正体を知られた鶴が空へ帰っていってしまうという

物語の1番の見どころの部分を担当しました

本気の涙を流せるまで教室に帰ってこなくてよろしい

なんて事言うんでしょうか

先生は、鶴との別れのシーンで相手の鶴役の女の子と私に理科室でそう言ったんです

鶴のことを大事に思っていたのに、それでも欲に目が眩んで鶴に布を織らせた

正体を見てしまった後に、自分の愚かさに気づいて、自分のことを愛してくれている鶴を追いながら縋るシーンです

それでも、涙ながらに鶴は空へと飛び立ってしまう

泣き叫び、鶴のことを追う与ひょう

そんなシーンです

なんなら、「本気の涙を流せるまで・・・」のくだりで先生が理科室(忘れもしない)をでていく瞬間

「先生いかないでー!!」

の気持ちなわけで(笑)

瞬間的に

仮面が被れた私(ブチギレキャラがそうさせたんだと思う)

そしてその姿を見て、本気でビビって泣き出す鶴役の子…

割と早く私たち2人は、教室に帰ることを許されました(笑)

でも、その時ですよね

経験していないことを

自分の経験に置き換えて

感情爆発させたり

感情の引き出しから引っ張り出す

ということをブチギレではなく「あえてやる」と覚えたのは


緞帳が下がる間際 私の目に映ったものは

理科室の一件から、私は「役に入る」(言い方が専門的にどうなのかは知りません)

ということができるようになり、本番を迎えました

そしてラスト

空へ鶴が帰ってしまう

スポットライトを浴びていても、私には大空へ羽ばたく鶴が見えていて

恋愛感情とかわかるわけがないのに、つるに縋って叫ぶ

「待て!待ってくれ!!」「待って・・・(嗚咽)」

というシーンですね

そのセリフを合図に緞帳が下がるわけです

目線を空へ向けつつ全体を把握して

緞帳の邪魔にならないところまで自分の体をバックさせるんです

そこで視界に入ってきたのは・・・

最前列に座るおばあちゃんたち全員の号泣する姿

私、自分の「演じること」の原風景がこれでして

私を通して、5年生のかよちゃんを見ているのではなく

役に感情移入して「ドラマ」として物語に入ってくれている

ということが直感でわかったんですよね

その時の「私が持っていた感情」というのは言い表せられませんが

11歳で経験したその瞬間の空気感

今でもすぐに思い出せます

そしてそれが私の今日までの声の仕事再開に充てる原動力であり、演じる力のパワーの源

急に専門的な話をしますが

「ゴールデンエイジ」ってご存知でしょうか?

9歳から12歳までの子どもで「運動能力が飛躍的に伸びる時期」なんてことが言われているのですが

その時期に「習い事をさせなくちゃ」とか

「何かひとつでも身につけさせなくちゃ」とか

「ゴールデンエイジを逃したら、我が子の成長が・・・」

と思って焦ってる親御さん、いらっしゃいません?

あれ、嘘ですから。

私が演劇との劇的な(まさに(笑))出会いは11歳

ゴールデンエイジの真っ只中ですね

次のお話は「ゴールデンエイジに習い事って大事なの?」などについて

自分の経験・母の言葉などを交えて、お話ししたいと思います。

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